伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりし
明治43(1910)年、当時、農商務省の官僚だった柳田國男により、後に「日本民俗学の金字塔」と賞される「遠野物語」が発表されました。
この説話集の発表は、本校の淵源である岩手県立遠野中学校が誕生(明治34〔1901〕年)した9年後の出来事でした。
遠野の市街地は、岩手県の中央部、北に北上高地の最高峰である早池峰山、東に遠野小富士の異名を持つ六角牛山、北西に石上山の遠野三山に囲まれた風光明媚な遠野盆地にあります。
遠野市街地の標高は260mほど(ちなみに、遠野高校の標高も約260m)です。
高清水展望台(遠野市の北西に位置する高清水高原にあります)から、遠野の市街地を望むと、「遠野物語」の第1話に記されている「大昔はすべて一円の湖水なりし」ということが実感できます。
ただ、かつて遠野盆地が湖だったということは、定説には至っていないようです。
また、柳田國男は遠野という地名の語源はアイヌ語からという説を紹介していますが、現在は、アイヌ語を語源にしているのではないだろうという説が有力のようです。
しかし、かつての遠野盆地が湖だったと夢想し、遠野の語源がアイヌ語の「トオヌップ(『湖のある地』の意味)」だったと思いを馳せると、ロマンが広がりますね。