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伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりし

 明治43(1910)年、当時、農商務省の官僚だった柳田國男により、後に「日本民俗学の金字塔」と賞される「遠野物語」が発表されました。

 この説話集の発表は、本校の淵源である岩手県立遠野中学校が誕生(明治34〔1901〕年)した9年後の出来事でした。

《略》
伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落をなせしなりと。されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの甚だ多く、俗に七内八崎ありと称す。内は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。
○遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖という語より出でたるなるべし、ナイもアイヌ語なり。

「遠野物語」第1話

高清水展望台(標高約770m)から、四方を山に囲まれた遠野盆地を望む。
(令和5〔2023〕年5月4日撮影)

 遠野の市街地は、岩手県の中央部、北に北上高地の最高峰である早池峰山、東に遠野小富士の異名を持つ六角牛山、北西に石上山遠野三山に囲まれた風光明媚な遠野盆地にあります。
 遠野市街地の標高は260mほど(ちなみに、遠野高校の標高も約260m)です。

残雪を纏う霊峰早池峰山(標高1,917m、令和5〔2023〕年5月2日撮影)
遠野小富士の異名を持つ六角牛山(標高1,294m、令和5〔2023〕年5月2日撮影)
矢印の先が、石上山(標高1,038m、令和5〔2023〕年5月2日撮影)
この石上山を遠望した画像を撮影した場所は、遠野市青笹町です。
この青笹町で、遠野三山の全てを見ることができます
遠野市街地の中心地域からは、石上山を見ることができません

 高清水展望台(遠野市の北西に位置する高清水高原にあります)から、遠野の市街地を望むと、「遠野物語」の第1話に記されている「大昔はすべて一円の湖水なりし」ということが実感できます
 ただ、かつて遠野盆地が湖だったということは、定説には至っていないようです。

水田に水が張られた遠野盆地の景色。
遠野盆地は昔、湖だったということが実感できます。
(高清水展望台から遠野市街を望む。令和5年6月7日撮影)

 また、柳田國男は遠野という地名の語源はアイヌ語からという説を紹介していますが、現在は、アイヌ語を語源にしているのではないだろうという説が有力のようです。
 しかし、かつての遠野盆地が湖だったと夢想し、遠野の語源がアイヌ語の「トオヌップ(『湖のある地』の意味)」だったと思いを馳せると、ロマンが広がりますね。

遠野高校の位置です
遠野の郷では、河童指名手配されています。
あ、何かいる・・・
太郎淵にて


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