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第1応援歌の「元歌」

 応援シーンで用いられる応援歌など楽曲のほとんどには、元歌や原曲があります。そのことが、応援シーンを豊かな世界にしています

 応援歌練習を見ていて、本校の第1応援歌には「元歌」があることに気付きました。

 本校の第1応援歌の歌詞は、次のとおりです。
  暁だ 暁だ 力は輝よう
  遠高 遠高 ラ 遠高
  競技龍巻く 溌溂と
  見よ玲瓏の 青空を
  遠高スピルの ラ ラ ラ
  日が差し昇る
  V I C T O R TONO
  スポーツ遠高 ラ
  シャイニング遠高

遠高応援団の練習風景(令和5年4月13日〔木〕13時17分撮影)

 第1応援歌の元歌は、法政大学の「スポーツ法政」でしょう。
 スポーツ法政の歌詞は、次のとおりです。ちなみに、2番までありますが、1番だけを掲載します。
  暁だ 暁だ 力輝よう
  法政 法政 法政
  競技龍巻く 先端を
  健康鋭智 新鮮の
  法政スピルの フレ フレ フレ
  日がさし昇る H O S E I
  スポーツ法政おおシャイニング法政

 東京六大学リーグ戦での、法政大学応援団の応援風景は以下のとおりです。

 法政大学応援団の資料によると、このスポーツ法政は、昭和4(1929)年に一般学生から作詞、作曲を募集した時の当選作でしたが、戦争とともに一時、姿を消したのだそうです。戦後の昭和37(1962)年に、当時、応援団吹奏楽部の常任指揮者であった萩原康禎氏が編曲して、現在歌われている曲になったのだそうで、この応援歌の発表は、同年の東京六大学秋のリーグ戦の神宮球場だったとのことです。
 なお、「スピル」とはスピリットの略で、主に、大正末から昭和初期に使われた言葉です。
 また、応援歌の中に「スポーツ『校名』」があります。
 「スポーツ法政」の歌詞が生まれた、大正から昭和初期という時代は、「スポーツの草分けの時代」でした。明治期に、海外から流入して当時の大学を中心に花開いた近代スポーツが、日本において普及し盛り上がりを見せた時代でした。例えば、いわゆる夏の高校野球は大正4(1915)年、冬の高校サッカーは大正7(1918)年、箱根駅伝は大正9(1920)年、東京六大学野球連盟創立は大正14(1925)年のことでした。
 この時代の「学生スポーツ」対する印象は、今とは比べることができないインパクトがあったのだと思います。そのため、「スポーツ『校名』」という歌詞になったのでしょう。

鍋城くんと一緒に応援
全国高等学校サッカー選手権岩手県大会決勝(平成30〔2018〕年11月4日)対花巻東高校


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