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遠野の豪商の邸宅

 遠野高校から東に徒歩3分の所に、「旧村兵商家」という立派な邸宅があります。

豪壮ですね~
もちろん、江戸時代そのままの姿っていうわけではありません

 この邸宅は、江戸時代、酒造業や材木業、質屋、古着屋などを営んだ遠野の豪商で、遠野南部家の御用商人でもあった近江屋兵右衛門(通称「村兵」)の邸宅だった建物です。
 近江屋兵右衛門なら「近兵」では?と考えるところですが、この村兵は、村上兵右衛門という名からきている通称のようです。

門の中

 もともと村兵は、盛岡の豪商の支店の意味で遠野での商売にあたっていて、後に独立したようです。支店的な意味で商売を始めたのがいつ頃のことかなのか分かりませんが、酒造業は19世紀前半の天保年間に開業したようです。
 この村兵は、他に十町歩(10ha)余りもの隠し田を所有していたようで、幕末期にこれを遠野南部家に献上したようです。また、金銭を町人たちに貸し付けてその利息を儲け、これを遠野南部家に献上する一方、他にも同家の御用商人として様々な貢献をしたことから、その功績によって百十石の士分に取り立てられました。そのため、おそらく村上兵右衛門と名乗ったようです。
 このように百姓身分から士分に取り立てられた侍のことを、当時「金上げ侍」と呼びました。幕末期の偉人で「金上げ侍」の家柄から出た者として有名なのが、幕臣の勝麟太郎(海舟)ですね。

邸内には、殿様の御成の間もあるそうです

 この村兵について、「遠野物語拾遺」に記事があります。

 遠野の豪家村兵の家の先祖は貧しい人であった。ある時愛宕山下の鍋が坂という処を通りかかると藪の中から、背負って行け、背負って行けと呼ぶ声がするので、立ち寄ってみると、一体の仏像であったから、背負って来てこれを愛宕山の上に祀った。それからこの家はめきめきと富貴になったと言い伝えている。

「遠野物語拾遺」第136話
現在は、遠野市新町の自治会館です

 遠野の郷には古からの物語が息づいています。
 おでんせ、遠野へ


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