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火防の神様

 遠野高校から、西方の宮守方面に向かって700mほどの所、卯子酉明神に隣接した愛宕山と呼ばれる高台に愛宕神社が鎮座しています。

杉木立の参道を上がっていくと愛宕神社があります。

 江戸時代の愛宕神社は、遠野南部氏の居城である鍋倉城の鎮守社であるとともに、城の搦め手の守りを果たしていました。搦め手とは城の裏手という意味です。ここからは、遠野市街と猿ヶ石川が一望できます

愛宕神社が鎮座する高台からは、遠野市街と猿ヶ石川が一望できます。
ただし、眺望は開けていません。

⛩道祖神としての愛宕神社

 愛宕神社は遠野城下町の西の境界に位置しています。そのため、愛宕神社は昔、遠野を内陸部に向かって旅立っていく人々が立ち寄り旅の祈願をした神社でもありました。

愛宕山の麓に説明板があります。

⛩火防の神としての愛宕神社

 愛宕神社の祭神は、火遇突知命(「かぐつちのみこと」と読みます)という神様です。

社を目指して、杉木立の参道を上がっていきます。

 この神様は、記紀によると伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の子で火の神とされています。火の神であることから、火を扱う業者からの崇敬が高く、鍛冶業や焼き物業といった生業の人々から高く崇敬されてきましたし火事を抑える役割として祀られることも多かった神様です。

トトロがいそうですね。
暖かい時期はクマに注意です。

 愛宕神社は火防の神としても尊崇を集めており、柳田國男が著した「遠野物語」の続編にあたる「遠野物語拾遺」には、愛宕神社の神様が和尚の姿になって火事を消した逸話が載っています。

 愛宕様は火防の神様だそうで、その氏子であった遠野の下通町辺では、五、六十年の間火事というものを知らなかった。ある時某家で失火があった時、同所神明の大徳院の和尚が出て来て、手桶の水を小さな杓で汲んで掛け、町内の者が駆けつけた時にはすでに火が消えていた。翌朝火元の家の者大徳院に来たり、昨夜は和尚さんのお蔭で大事に至らず、まことにありがたいと礼を述べると、寺では誰一人そんな事は知らなかった。それで愛宕様が和尚の姿になって、助けに来て下さったということがわかったそうな。

「遠野物語拾遺」第64話
愛宕神社拝殿。

 遠野の郷は、不思議がいっぱいです。
 おでんせ、遠野へ。


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