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プロになって、恩返しを

 今回は、本校の3年生でサッカー部の、ある生徒のことについてご紹介します。

本校のフィールダーは、
グリーンのユニフォーム。
(ゴールキーパーはイエロー)

 彼は、陸前高田市出身の生徒で、「全国選手権の舞台でサッカーをしたい」という夢を叶えるため本校に入学し、3年間、下宿生活をしながらサッカー部で努力を積み重ねてきました。

 平成23(2011)年3月11日に発災した東日本大震災津波で、陸前高田市は壊滅的な被害を受けました。午後2時46分に市を襲った地震は推定震度6でした。さらに、その後に襲来したのは最大浸水深17.6mの大津波でした。陸前高田市東日本大震災検証報告書(陸前高田市/平成26年7月)によると、陸前高田市における死者・行方不明者数(直接死)は1,771人でした。この死者・行方不明者数(直接死)は、岩手、宮城、福島3県の中で海岸線を持つ37市町村のうち石巻市の3,712人に次いで2番目の多さでした。また、陸前高田市の被害を犠牲者率でみると10.64%になり、3県沿岸37市町村の中で最も高い比率でした。
 発災後、陸前高田市には多くの方々からの厚く長期にわたる継続的な支援がありました。

 現在も陸前高田市との交流事業を続けるサッカーJ1の川崎フロンターレもそのような支援団体です。

川崎フロンターレは、現在も交流事業を続けています。
陸前高田市高田松原運動公園第一サッカー場で、
サッカー教室も開催しています。

 彼は、幼少期からの川崎フロンターレとの交流により、サッカーを始め、続けてきました。そして、その交流が支えになり、「全国大会で・・・」という夢を持ちました。

 彼の夢は、高校生活最後の年第102回全国高校サッカー選手権大会スタート・メンバーとして出場することで、叶えられました。

 本校の初戦は、令和5年12月31日に行われた2回戦でした。対戦相手は、前回大会ベスト4の強豪で、今回大会シード校である熊本県代表県立大津高校でした。

 彼も、6番左サイドバックとして活躍しました。

 試合は、0対1での惜敗でした。

 大学進学を決めた現在の彼は、さらに4年後Jリーグでプレーするという新たな目標を掲げ努力しています。

応援、ありがとうございました。
いくつもの日々を越えて
辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架け橋へと

 今回の記事は、1月30日(火)付けの讀賣新聞朝刊27面岩手版に、彼のことについての記事が掲載されたのをきっかけに、投稿しました。
 本校には、彼のように叶えたい夢、達成したい目標を持って遠野市外からも多くの生徒が入学しており、3年間研鑽しています
 それぞれが、自身の夢に向かって。


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