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遠野郷八幡宮への奉納踊り(遠野まつり前日)

🌸板澤しし踊り

 令和5年9月15日(金)、「日本のふるさと遠野まつり」の前日であるこの日、遠野郷八幡宮において奉納踊りが行われ、本校の生徒も参加しました。


遠野郷八幡宮二の鳥居

 市内には60を超える郷土芸能団体があります。その中で、生徒は上郷町板沢地区の団体「遠野郷板澤しし踊り保存会」しし踊り(鹿踊り)の舞手(太刀振り)として参加しました。

神前に上がる前、旗持ちを先頭に参道にて待機中
いよいよ出番です。
踊りながら神前に向かいます。
拝殿

 この日の八幡宮への奉納踊りでは、抜刀して太刀を振るう踊りではなく、扇子踊りを行いました。

太刀振り

 岩手県内のしし踊りは、「太鼓系」と「幕踊り系」の二種類が伝承されていますが、板澤しし踊りは、踊り手が、前に付けた幕を煽りながら踊る「幕踊り系」の踊りです。遠野の郷の他のしし踊りも「幕踊り系」です。
 なお、遠野型のしし踊りは、由来が異なる「駒木系」と「長野系」があります。板澤のものは駒木系の代表的な踊りの一つです。駒木系とは、地域に以前からあった在来のしし踊りに、遠州掛川(現在の静岡県掛川市)で習い覚えた新しい要素を取り込み、現在のしし踊りの原型となったものだと考えられています。
 柳田國男が「遠野物語」の中で、明治42(1909)年8月に遠野の附馬牛で見た光景として、しし踊りの様子を紹介しています。

《略》獅子踊というは鹿の舞なり。鹿の角をつけたる面を被り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。《略》

「遠野物語」初版序文

 板澤しし踊りの創始者は、上郷町板沢の與五兵衛家4代目の菊池田子助、あるいは田子助と弟村助の両人であるとされています。彼(彼ら)の生きた江戸時代末期から明治にかけての時代、彼(彼ら)が旅先の遠州掛川で見た踊りに感動して、郷里へのお土産にしたいと思い、見習い覚えて郷里に伝えたものだといわれています。

板澤しし踊りは、「幕踊り系」で「駒木系」のしし踊りです。

 この日の遠野市の最高気温は、9月中旬にも関わらず、28℃でした。

奉納踊りが終わりました。鹿(しし)は生徒のお父様が務めました。
大変お疲れさまでした。

🌸日本のふるさと遠野まつり

 9月16日(土)から17日(日)、遠野の郷では遠野まつりが開催されました。この遠野まつりは、遠野郷八幡宮の例大祭です。この祭りは年に一度開催され、現在、「日本のふるさと遠野まつり」と題して開催されています。市内にある60を超える郷土芸能団体が参加しました。

  祭りには、遠野しし踊り、南部ばやし、田植踊、さんさ踊り、神楽といった、遠野の郷の郷土芸能が一同に集結しました。

 また、神輿が繰り出し、遠野郷八幡宮境内の120間(220m)の馬場では流鏑馬が奉納されました。

この馬場で流鏑馬(やぶさめ)が行われています。

 遠野の郷には、今も歴史が生きています。
 おでんせ、遠野へ。


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