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遠野郷早池峰神社例大祭

 令和5年7月18日(火)、遠野市附馬牛町上附馬牛(「つきもうしちょう・かみつきもうし」と読みます。)の大出(「おおいで」と読みます。)地区にある早池峰神社例大祭があり、地域に住んでいる本校の生徒が女踊りの踊り手として参加しました。


🏔早池峰山

 遠野の市街地は、岩手県の中央部、北に北上高地の最高峰である早池峰山、東に遠野小富士の異名を持つ六角牛山、北西に石上山遠野三山に囲まれた風光明媚な遠野盆地にあります。
 早池峰山(標高1,917m)は、古くは東峰(「あずまね」と読みます。)と呼ばれ、岩手山(標高2,038m)や姫神山(標高1,124m)とともに、旧盛岡藩領の三鎮山として信仰されていた山でもあります。

残雪を纏う霊峰早池峰山(標高1,917m、令和5〔2023〕年5月11日撮影)

⛩早池峰神社

 早池峰山への登山道は東西南北4ルートあり、それぞれの登山口に早池峰神社があります。
 つまり、早池峰神社は山頂に鎮座する奥宮の他、早池峰山の麓に4社あります。東は宮古市の江繋(「えつなぎ」と読みます。))(旧川井村)、
西は花巻市の大迫町内川目岳(「おおはさままち・うちかわめ・たけ」と読みます。)(旧大迫町)、南は遠野市附馬牛町の大出北は宮古市の門馬(「かどま」と読みます。)(旧川井村)の4社です。その中で、よく知られるのは南(大出)のものと、西(岳)のものです。
 そして、大出の神社が今回の遠野郷早池峰神社です。

⛩遠野郷早池峰神社

 遠野郷早池峰神社は、寺伝によると、平安時代の大同元(806)年、来内村(「らいないむら」と読みます。)の猟師が、早池峰山頂に一宇を建立したのが始まりとされています。その後、斉衡年間(854年~857年)に、慈覚大師がこの地に来て、1寺を建立し早池峰山時福院妙泉寺と号したのだそうです。

 以来、近郷随一の大寺として、その信仰圏は遠野領内にとどまらず、仙台領にまで及んだといわれています。
 また、遠野三山の神霊も祀り山岳信仰の場としても崇敬を集めていましたが、明治維新の廃仏毀釈により妙泉寺は廃絶され、早池峰神社となりました。

雨の早池峰神社神門(遠野市指定文化財)
この門は、旧仁王門で、明治初期の神仏分離後神門と改められました。
仁王の間には、仁王像ではなく、現在、右大臣・左大臣の神像が 安置されています。
ここにあった仁王像は、明治3(1870)年、遠野市土淵町の常堅寺に譲渡されました。
ちなみに、常堅寺は「カッパ狛犬」でも有名です
江戸時代に小八戸家士野沢武右ェ門が著した「御山先立往来」には「気仙より番匠を引越 文化年中の造立也」という記述があります。
そのため、この門は、文化年間(1804年~1829年)に、いわゆる「気仙大工」によって建築されたものと考えられています。
参道
神門から拝殿を望んでいます。
古民家のような佇まいの早池峰神社拝殿(遠野市指定文化財)
自然石の積み上げ土壇の上に、土台を廻し建てられていて、
正面6間、側面3間の茅葺寄棟造の建物です。
早池峰神社本殿(遠野市指定文化財)
正面5間、側面4間、銅板葺入母屋造で、四方に縁を廻らせたつくりになっています。

★例大祭

本殿では神事の最中です。

 例大祭は、大出早池峰神楽の行列と奉納、神輿渡御、早池峰しし踊りが行われました。

 神輿渡御については、天候不順のため、渡御が中止となりました。

大出早池峰神楽の行列が本殿前に向かいます。
早池峰しし踊りが本殿前に到着します。
早池峰しし踊りの奉納。
早池峰しし踊り
早池峰しし踊り

大出早池峰神楽では、振袖姿の女舞が行われました。

大出早池峰神楽の女舞。
囃子(白い着物の人達)は胴取り(太鼓)、笛、手平鉦、言立の唱え手で構成。
舞手は振袖姿。

🌸遠野物語が描く、明治42(1909)年8月の附馬牛

《略》附馬牛の谷へ越ゆれば早池峯の山は淡く霞み山の形は菅笠のごとくまた片仮名のへの字に似たり。この谷は稲熟することさらに遅く満目一色に青し。細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて雛を連れて横ぎりたり。雛の色は黒に白き羽まじりたり。始めは小さき鶏かと思いしが溝の草に隠れて見えざればすなわち野鳥なることを知れり。天神の山には祭ありて獅子踊あり。ここにのみは軽く塵たち紅き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。獅子踊というは鹿の舞なり。鹿の角をつけたる面を被り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声も淋しく女は笑い児は走れどもなお旅愁をいかんともする能わざりき。《略》

「遠野物語」初版序文


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