約1世紀前のできごと(遠野高校爆誕)
遠野高校の淵源は、明治34(1901)年5月1日に授業が開始された、男子校「岩手県立遠野中学校」です。そのため本校では、同校の開校式が行われた同年5月19日を開校記念日として、今日に至ります。
校舎が設置された場所は、遠野南部氏の居城である鍋倉城址の麓、旧桜馬場跡地でした。これが現在の遠野高校の校地です。
その後、昭和24(1949)年4月1日に、明治41(1908)年に設立された「遠野町立女子職業補習学校」を淵源とする女子校と統合して、現在の校名である「岩手県立遠野高等学校」となりました。
本校の歴史を辿る際には、男子校だった学校を「旧中学校」、女子校だった学校を「旧女学校」と呼んでいます。
旧中学校は、地域で高揚した「中学校早期誘致の猛運動」の盛り上がりの中、明治33(1900)年6月5日の岩手県議会で福岡中学校、遠野中学校同時設立案が議決されたことから、県内三番目の旧制中学校として誕生しました。
ここで、旧制中学校について、大まかに説明します。 戦前の教育制度上の中学校のことを旧制中学校といいます。現在の中学校は戦後に新たに設置されたもので、歴史的には、旧制中学校に対して、新制中学校ともいいます。 旧制中学校は現在のような義務教育ではなく、大学等の高等教育を受けるための中等教育機関でした。義務教育である尋常小学校を卒業した男子が進学する五年制の教育機関です。現在の学校でイメージが近いものは、中高一貫校です。
尋常小学校を卒業した女子は、高等女学校に進学しました。
最初の入学生は、遠く北海道や長野県からも集まり、106名でした。
しかし、義務教育ではありませんでしたから、経済的な負担も重いものでした。
この頃の卒業生は「授業料を出して子どもを勉強させる家は、各村に十軒あるかどうか」だったと語っていますし、「学業の修得も困難なものだった」とも述べています。
このような困難さもあって、旧中学校の第1回卒業生(明治39〔1906〕年3月)は37名でした。