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「遠野物語のふるさと」山口集落と、三陸沿岸に続く2つの峠

 遠野東部の旧山口村(現在の土淵町山口)は、「遠野物語」の生みの親である佐々木喜善が生まれた土地です。佐々木が遠野地方の伝説を柳田國男に語った話を、柳田がまとめ明治43(1910)年に発表したのが「遠野物語」です。この発表は、本校の淵源である岩手県立遠野中学校が誕生した9年後の出来事でした。


山口集落(旧山口村)

旧山口村は、遠野と大槌間を結び境木峠(現在の界木峠、標高729m)を越える大槌街道と、
遠野と釜石間を結び笛吹峠(標高867m)を越える両石街道が分岐する所にあります
境木峠笛吹峠の位置

 江戸時代、遠野、大槌、釜石は同じ盛岡藩の領地であり、旧山口村は遠野と三陸沿岸の両地を結ぶ交通の要衝でした。そして、この道を駄馬に荷を積んだ駄賃付けが通っていました。

駄賃付けの駄馬の模型(遠野市立博物館)

 遠野郷より海岸の田ノ浜、吉利吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠といふ山路あり。山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふより、誰もみな恐ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、ついに別の路を境木峠という方に開き、和山を馬次場として今は此方ばかりを越ゆるやうになれり。二里以上の迂路なり。
○山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。

「遠野物語」第5話

 佐々木喜善の生家の前には、笛吹峠を越えて遠野と釜石を結んでいた両石街道がありました。

山口の水車小屋
現在、この旧山口村の地には水車小屋があります
平成27(2015)年に、長らく使われていなかったものを修理し、動くようになりました

境木峠(現在の界木峠)

 大槌街道には境木峠が立ちはだかっています。

この山の先に境木峠があります

 境木峠のことは「遠野物語」に度々出てきます。

 菊池弥之助という老人は若きころ駄賃を業とせり。笛の名人にて夜通しに馬を追ひて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜に、あまたの仲間の者と共に浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、大谷地というところの上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、その下は葦など生じ湿りたる沢なり。この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと呼よばわる者あり。一同ことごとく色を失ひ逃げ走りたりといへり。
○ヤチはアイヌ語にて湿地の義なり、内地に多くある地名なり。またヤツともヤトともヤともいう。

「遠野物語」第9話
この道の彼方、山を越えた先に境木峠があります

 境木峠と和山峠との間にて、昔は駄賃馬を追ふ者、しばしば狼に逢ひたりき。馬方等は夜行には、たいてい十人ばかりも群れをなし、その一人が牽く馬は一端綱とてたいてい五、六七匹までなれば、常に四、五十匹の馬の数なり。ある時二、三百ばかりの狼追ひ来たり、その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、そのめぐりに火を焼きてこれを防ぎたり。されどなほその火を躍り越えて入り来るにより、つひには馬の綱を解きこれを張り回らせしに、穽などなりとや思ひけん、それより後は中に飛び入らず。遠くより取り囲みて夜の明くるまで吠えてありきとぞ。

「遠野物語」第37話
大槌街道

 「遠野物語」は、遠野が田舎であることから生まれましたが、駄賃付けが往来する交通の要衝であったため生まれました。

駄賃付けの道(遠野市立博物館)

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