遠野東部の旧山口村(現在の土淵町山口)は、「遠野物語」の生みの親である佐々木喜善が生まれた土地です。佐々木が遠野地方の伝説を柳田國男に語った話を、柳田がまとめ明治43(1910)年に発表したのが「遠野物語」です。この発表は、本校の淵源である岩手県立遠野中学校が誕生した9年後の出来事でした。
山口集落(旧山口村)
江戸時代、遠野、大槌、釜石は同じ盛岡藩の領地であり、旧山口村は遠野と三陸沿岸の両地を結ぶ交通の要衝でした。そして、この道を駄馬に荷を積んだ駄賃付けが通っていました。
佐々木喜善の生家の前には、笛吹峠を越えて遠野と釜石を結んでいた両石街道がありました。
境木峠(現在の界木峠)
大槌街道には境木峠が立ちはだかっています。
境木峠のことは「遠野物語」に度々出てきます。
「遠野物語」は、遠野が田舎であることから生まれましたが、駄賃付けが往来する交通の要衝であったため生まれました。