遠野の郷は、雲海の下に眠る
令和5年10月14日(土)早朝、遠野の郷は霧に覆われました。
🌥遠野の雲海
遠野の郷を一望できる標高約770mの高清水高原に行って見ると、目の前には一面の雲海が広がっていました。
500m下には、盆地の中に遠野の郷があるはずなのですが、見えません。
郷を覆っていた霧の正体は、雲だった・・・
遠野の郷を覆う雲海は、毎年9月頃からの夜明けから午前8時くらいまでの早朝、前日から天気が良く放射冷却が発生する条件の時に、高い確率で見られます。
🌥一に薮川、二に田代、三、四がなくて、五に遠野
一般に、盆地の底はよく冷えます。遠野の郷もその典型例です。
本州でも岩手は寒い地域ですが、その中でも「一に薮川、二に田代(区界のこと)、三、四がなくて、五に遠野」といわれるくらい、北上高地にあるこの3つの地域はとても冷える土地として有名です。
ちなみに、盆地である薮川(やぶかわ)は1945(昭和20)年に氷点下35℃、1940(昭和15)年には氷点下 31.4℃を記録しています。本州では他に富士山や、長野県の菅平も寒いですが、富士山は標高3,776mの山頂、菅平も標高は1,253mです。薮川も標高が680mありますが、本州最寒の地といっても間違いではないでしょう。
🌥雲海は、どうして発生するの?
雲海が発生するメカニズムは、遠野のような盆地の底には冷気が溜まりやすく、言葉を換えると空気が冷えることで低い高度に雲が発生する、というものです。これによって、雲より高い土地からは目の前に雲海が広がる景色が見られるようになります。
その時の雲の中、つまり盆地の底は濃霧になっています。
🌥盆地は、どうして底冷えするの?
さらに、盆地の底に冷気が溜まりやすいメカニズムは、次のようなもののようです。夕刻頃から山頂も盆地も同時に冷却が始まり、冷気は重いので山の斜面に沿って滑降することで、盆地の底に積もります。やがて盆地内には冷気が上へ上へと積み重なり、盆地の底はますます放射冷却が強まります。
そして、盆地で、風が弱い場合、盆地内が冷気で埋もれてしまうのです。しかも、遠野の郷は盆地ですが標高は260mと高地にあります。さきほど出てきた田代(区界)は、盛岡市と宮古市を結ぶルートにある区界高原の峠で、標高700mほどの高地です。
寒いはずですね。
🌥「遠野物語」が記す古の遠野
「遠野物語」には、古のある時、遠野の郷は湖だったとあります。
この雲海を見ていると、湖だったというのも「きっとそうだったろうな」と思えてきます。
遠野の郷には、心の豊かさがあります。
おでんせ、遠野へ。
なお、高清水展望台(遠野市松崎町)への道は、例年11月後半から、冬期間通行止めになりますので、ご注意ください。