⚽全国高校サッカー選手権大会で、準優勝した時
本校サッカー部は、本校の70周年記念誌によると、昭和23(1948)年5月に創部されました。
令和6(2024)年度で、創部76年になった伝統校です。
本校サッカー部にとって、最も高い戦績は、西宮球場で行われた昭和35(1960)年度(昭和36年1月開催)の第39回全国高等学校サッカー選手権大会での準優勝の記録です。
この全国大会準優勝のチームは、昭和35年9月に開催された第15回国民体育大会(熊本国体)で第4位になり、その勢いで全国選手権に臨み大きな成果を挙げました。
このような大活躍をしたチームは、同年春に行われた高校総合体育大会岩手県大会でも優勝していました。しかし、この頃のサッカーは、まだインターハイ競技ではありませんでしたので、このチームは、インターハイには出場していません。
サッカーがインターハイ競技になったのは、昭和41(1966)年からのことです。
なお、このチームが熊本国体の準決勝で対戦したのが、釜本邦茂選手(当時1年生)を擁した山城高校(京都府代表)でした。本校は、山城高校に1対3で惜敗し、決勝進出を逃しました。
後に釜本選手は、実業団チームで大活躍するとともに、日本代表チームの中心選手として、昭和43(1968)年のメキシコ・オリンピックで得点王に輝き、日本代表チームを銅メダルに導くレジェンド選手になります。
昭和23年に創部された本校サッカー部は、東日本高校サッカー選手権大会で準優勝し、第11回国民体育大会(兵庫国体)で4位になった昭和31(1956)年度を第1次黄金期、そして昭和35年度を第2次黄金期として、全国に対して「東北に遠野あり」を印象付けたのでした。