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🐰ウェドゥネスデイ#5〜中学1年生の頃友達を泣かせてしまった〜

 “令和六年度遠野高校の生徒会長になった田中奏多です! 「ウェドゥネスデイ」では生徒会長として日々感じている思いや学校生活の様子、雑学など幅広い投稿を毎週水曜日にしていこうと思っています。学校生活の様子は先生方が投稿をなさってくれています。ですので僕は生徒なりの切り口で今までにない新鮮なものを皆さんにお届けできたらと思っています。”


夏休み終盤で思い出したこと😿

 遠野高校の夏休みは8月18日までです。もうすぐ終わってしまうと思うと少し悲しいです・・・そんな事を思っていたとある夜に中学生の頃の夢を見ました。中学1年生頃実際にあった、クラスの皆で誰が学級委員長になるのか話し合いで決める時の夢です。この夢を見たのは偶然ではなくて、僕にとってあの日の出来事は自分の生き方を変える大切なものだから、忘れないようにしていたから出てきたのだと思います。夏休み終盤は僕の中学1年生の頃の話をしようと思います。

あの日から僕は悪口を言わない

 中学1年生になりたての頃、学級組織を決める話し合いがありました。その頃のクラスの皆は学級委員長をやりたくなくて押し付け合っていました。勿論立候補で誰も出なかたったので男女二人が推薦されました。そこから男子と女子、どっちに学級委員長をやらせるかの男vs女の口論が始まりました。すでに決まっていた議長の男女二人が話し合いのまとめ役をしていましたが、女子の議長の子がその頃の僕には女子の肩を持つ発言ばかりしているように見えてしまって「女子に有利なように話進めるなよ!男の議長の方にも話しさせろよ!」と僕も含めた男子三人で文句を言ってしまい、議長の女の子を泣かせてしまいました。
 その女の子は人数の少ない小学校から一人で入学しにきていた子で複数の人から文句を言われて悲しかったみたいです。その事を知った僕は「今まで俺なんで相手が嫌がるようなことしてたんだろう」と急に思いました。多分中学生になり脳が成長してきて自分のことだけでなく、相手はどう思っているのだろうと考える力が身につき、客観的視点を持つことができるようになったからだと思います。ウェドゥネスデイ#1でも言いましたがその時から僕の座右の銘が「誰かのためになにかすること」になりました。

今の自分があの日の自分の事を考えてみる

 中学生になりたての僕の心はまだ小学生のままでした。もしかしたら友達も皆そうだったかもしれないです。友達を今と昔で比べると大人になったなと思う箇所がたくさんあるので。中学1年生の頃の僕を一言で表すなら「人の不幸を喜ぶ人間」です。本当に最低な人間だったと自分でも思います。そういう人間性になってしまった理由は分かっていて、人の悪口をいう、相手を陥れるという事でしか自己を表現することが出来なかったからです。自己の表現の仕方というのは「誰かのことを助けてあげる」、「面白いことを言って誰かを笑わせる」、「自分の特技を磨く」など様々なものがあります。
 これは持論ですがこの世にはプラスとマイナスの2つの自己表現の仕方があると思っています。
 プラスの自己表現とは、誰かのためになにかすることで自己の存在証明をすることです。良いとこをして「ありがとう」と感謝してもらい誰かが自分を求めているから、自分は存在していい、生きてていいと思う事ができます。
 一方マイナスの自己表現とは、自分及び誰かが不幸になる何かをすることで自己の存在を証明することです。例えば誰かの悪口を集団でいう「いじめ」や悪い行いをすることで「アイツって〜な奴」と言われることで自分だけの価値を見出そうとしてしまいます。
 マイナスの自己表現の方がやるのは簡単です。注目を浴びるのは簡単です。だから小学生の頃の僕は誰かが不幸になることばかりしていました。だけどあの日の出来事がきっかけで変わることが出来ました。変われたことで心がポジティブになったし、死について考える回数も減ったし、笑う回数が増えました。

最後に

 できれば小学校の頃に今みたいなことを気づけていたら僕のせいで傷ついた人もいなかっただろうなと思います。皆さんには自分が変われた出来事は何かありますか?


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