白亜の校舎
遠野高校の淵源は、明治34(1901)年5月1日に授業が開始された、男子校「岩手県立遠野中学校」という旧制中学校です。
遠野中学校の開校は、遠野の人々による猛烈な早期設置運動によって実現したものでした。
校舎の建造は、総工費5万9千460円(当時)、5年継続事業として行われ、第1期工事が明治34年1月に完了しました。
遠野の人々の夢と希望を託して完成した校舎は、壁が全て白壁造りで、屋根は、当時、遠野には1軒もなかった瓦屋根、入り口の扉はもちろん各教室の板戸は全てヒノキの厚板、机と椅子はクリの堅木、天井板は節なしのスギというように、壮麗を極めた大変立派なものでした。
そのため、同年5月19日に開催された開校式に臨席した文部省の役人が「余りに贅沢過ぎる」と叱ったという逸話が残されています。
この文部省の役人の逸話は、後々まで遠野の人々が自慢話にしたといいます。
この開校当時の校舎は、まさに、遠野の郷の象徴だったのです。
本校の校歌の一節に「聳ゆる瓦」と、瓦が出てくることには、とても重い意味があるのです。