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武田菱とスズランを配した校章

 本校の校章は、戦前の旧学制から戦後の新学制への移行に伴い、昭和24(1949)年に旧学校である岩手県立遠野第一高等学校と旧女学校である岩手県立遠野第二高等学校が統合する際、制定されました。
 この校章は、旧中学校第39回卒業生であり、東京美術学校(現在の東京東京藝術大学美術学部)出身の永田守氏の考案によるものでした。

校章

 校章の中央には、旧中学校の校章であった武田菱をおき、その外側に旧女学校の校章であったスズランの花を配していて、男女共学である現在の遠野高等学校を表徴するデザインになっています。

遠野の郷に南に聳える物見山と遠野高校の位置
武田菱(四つ割菱)

 武田菱は遠野南部家の裏紋であり、スズランの花はその城址の背後に聳える物見山に咲く可憐な花です。

すずらん。
花言葉は「純粋」「純潔」「謙虚」

 旧中学校の校章として武田菱が採用された由来については、本校の70年史に、「古い校友会雑誌の中に次の文が掲載されていた」として、以下のように紹介されています。

遠野南部男爵家の紋章武田菱であり、蓋し我が学び舎は、鍋倉城下、曽っては駿馬を駆って武を練り、士風を振起した桜馬場の跡に位する。ここに育まれる本校生徒をして永久に遠野南部家累代勤王の・・・うんぬん」とあり創立当時の職員中、郷土の人は唯ひとり高橋教諭(書記をも兼ねていた)で、祖先が男爵家に仕えたという家柄からも、この人が図案の提案者ではなかったかと伝えられている。

遠野高等学校70年史


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