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遠野の郷は、教学の地

 本校の淵源である岩手県立遠野中学校は、岩手県下で3番目の岩手県立中学校(旧制中学校)として誕生しました。
 この誕生は「遠野物語」が発表される9年前(明治34〔1901〕年)のことでした。

 県下で最初に誕生した県立中学校は盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)で、2番目が一関中学校(現在の一関第一高等学校)です。盛岡は、盛岡藩の城下町で明治維新後は岩手県の県都、一関は、江戸時代、仙台藩伊達氏の支藩で3万石の城主格である独立大名(一関藩田村氏)の城下町であり、加えて、大槻玄沢など蘭学において多くの人材を輩出した教学の地でした。

 遠野の地に県下3番目の旧制中学校が設置された背景について、「物資集散地として繁栄した遠野(江戸時代から明治・大正中期)」の記事では、当時、県内2番目の経済都市である豊かな街だったからと説明しました。

 この豊かさに加えて、当時の遠野の郷が教学の地であったことも要因としてありました。


🌸郷校「信成堂」

 旧盛岡藩(南部氏領地)で最初に設置された公的教育機関は、盛岡に設置された藩校の「明義堂」でした。
 2番目に設置されたのが、遠野に設置された郷校の「信成堂でした。ペリーが浦賀に来航した嘉永6(1853)年の出来事でした。

信成堂跡地。
現在は裁判所(盛岡家庭裁判所遠野支部・盛岡地方裁判所遠野支部・遠野簡易裁判所)
があります。

 藩校(「藩学」ともいう。)と郷校(「郷校」ともいう。)の違いは次のとおりです。藩校は藩が家中の子弟育成のために設置した学校で、儒学を中心に教育が行われました。郷校は藩校の分校的な存在で、その多くは家中の子弟を教育するための準藩校的な性格を持っていました。

🌸文武修行宿

 また、当時の遠野の教学の風を示すものとして、信成堂と同時期に設置された「文武修行宿」の存在がありますが、この施設は全国に類のない文化施設でした。
 遠野の地は、地理的に僻遠の地にあるため、どうしても中央の文化から取り残される傾向がありましたので、積極的に広く人材を招いて文化の興隆を図る目的で設置されたのがこの施設でした。文武両道の修業者で遠野に来る者があれば、進んでこれを歓迎し何日でも宿泊させて公費で接待し、その修業のほどを信成堂で発表、講じさせました。さらに、その学技が優秀な者に対しては、若干の謝礼さえ出したそうです。このような厚遇施策により、幕末期、多くの人材が遠野を訪れたそうです。
 当時著名だった来訪者としては、江戸の剣客斎藤弥九郎の高弟で、久留米藩(現在の福岡県)の藩士であった斎藤九一郎(本姓は田中)がいました。斎藤は約半年間も滞留し信成堂で教授したと伝わっています。なお、斎藤は「お所に過ぎたるものは二つあり。四戸軍馬に文武御宿」と詠じ、この施策を激賞しました。
 ちなみに、現在の岩手県北部から青森県南部の地にある地名として「○戸」があります。一戸から九戸までありますが、現在、四戸は存在しません。かつては、現在の八戸市域の一部が四戸とよばれていたようです。
 江戸時代の遠野を領していたのは、盛岡南部氏の一族である遠野南部氏でした。そして、この遠野南部氏は、遠野に移封されるまでは八戸地域を支配していた八戸南部氏でした。

 そして、八戸も含めて南部氏の領地は古来から軍馬の生産で有名でした。これらのことから、斎藤が詠じたことを解説すると「遠野南部のご領主様が統治するこの遠野の地には、失礼ながら僻遠の地とは思えない、江戸にもないような素晴らしい物が二つある。それは四戸以来の軍馬の存在と、『文武修行宿』の存在である。」ということになると思います。まさに激賞だったと思います。
 なお、幕末期、江戸には後世「幕末江戸三大道場」と呼ばれた多くの門下生を抱えた高名な剣術道場がありました。それは桃井春蔵の「士学館」(鏡新明智流)千葉周作の「玄武館」(北辰一刀流)斎藤弥九郎の「練兵館」(神道無念流)で、「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と云われたようです。
 斎藤九一郎は斎藤弥九郎の下、練兵館で神道無念流を学んだ剣客でした。
 ちなみに、千葉周作生誕地は、現在の岩手県陸前高田市気仙町だという説もあります
 また、この三大道場では、幕末期に活躍した多くの志士たちも学んでいます。士学館では、土佐藩(現在の高知県)の武市端山(半平太)や、田中光顕が学びました。玄武館では、土佐藩の坂本龍馬が学びました。練兵館は学問も重視し多くの幕末の志士を生みました。門下生には、桂小五郎後の木戸孝允)、高杉晋作井上門多後の井上薫)、伊藤博文といった長州藩(現在の山口県)の志士が大勢おりました。

 遠野の郷は、このような先人による努力によって教学の風を盛んにして明治を迎えたのです。そして、物資集積地として中継商業で繁栄した経済力を背景に、県下3番目である岩手県立遠野中学校(旧制中学校)を生み出したのです。

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